はじめまして!かみぃーと申します。
生きている事が辛い、
もう絶望的な人生だ!
何のために働いているんだろう…
嫌いな上司に耐え続けるのはもう限界!
周りの人たちに気を使いすぎてツラい!
と、こんな私と同じように、
「このままの状態が続いたら、自分が壊れてしまいそう…」
と、明日を迎えることすらキツくて、精神的に、肉体的にツラ過ぎる!と感じている人は多いと思います。
その前に、
「おまえ誰なんだ?」
と思われそうなので、簡単な自己紹介をさせて頂けたらと思います。
私は今、在宅でWEBライター業を行う事や、法人様からのお仕事を頂くなどで起業して、フリーランスの1人社長として活動し、生計を立てています。
最近ですと、アルバイトの方を10~20名ほどお手伝い者を依頼していますが、基本的に従業員は持たず1人で上手く活動しています。
もちろん最初から1人で起業し、上手く行った訳ではなく、
明日が来るのが嫌だ!と、不安と心配で泣き崩れていた日々を忘れることは出来ません。
苦難や挫折、仕事で失敗した時の精神的苦痛や、日々の仕事では上司からのプレッシャーや圧力に耐え続け、
人間関係や上下関係には、精神的に限界がくるまで、ひたすら絶え続けていたことを、今でも鮮明に覚えています。
そんな私が、とある出会いがキッカケで、
「これしかない」と、社会人20年目にして、藁(ワラ)にもすがる思いで願い、
嫌な人間関係に苦労をしない環境で、
苦難を分かち合える相談者や仲間がいて、
皆様が私(かみぃー)を頼ってくれるようになり、
前向きで穏やかな心を保っていられる。
そんな、理想が叶う生活環境を整えることができました。
もちろん、最初から悩みが一切ない状態だった訳ではなく、生き続けるのか、死ぬのか、人生最後の選択をしなくては生きていけないほど精神的に追い込まれた所から、必死に学びを繰り返してきて、
どうにか現在、月収100万円を継続できるまでになりました。
最高月収238万2,522円となっています。
ちなみに
なんでかみぃーは人生に絶望していたの?
ということについてですが、
それは、私が、
HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)で、
極度な繊細さんで、敏感人間だったからです。
この電子書籍を書いている今だからこそ、
過去にとらわれず!未来を作って楽しむぞー!
たくさんの仲間と繋がって上を目指すぞー!
という前向きな気持ちになっていますが、過去は本当にヒドい状態でした。
現代では「HSP(いわゆる繊細さん)」という言葉で伝わると思いますが、私が育って来た当時は、そんな言葉は認知されておらず、
私がする発言に対して「嫌な思いをさせてしまうのでは…」と、いつも気遣いをして言葉を詰まらせ発言ができず、内に秘めてしまうことや、
- ヒトが使う言葉の愚痴や暴言
- ヒトの表情の変化
- ヒトの視線
- ヒトの動きや仕草
- 自然に出る物事の音
などを、常に周辺で起こることを察知しすぎて、いつも恐怖でカラダが緊張しているため、こちらから誰かに声をかけるようなことすら出来ず、人間関係うまくいかない状態です。
なんとかしなくちゃ!と危機感を感じて周囲のヒトに相談をしましたが、
「甘ったれてんじゃないよ」
「男だろ?」
と、相談をした回数分同じ返事をされて、分かってもらえるヒトはいない。
周りの人が出来ている、言わば「普通」なことが出来ない自分なだけに、自殺願望があったり…
生きていて良い事なんて無くて、周りのありとあらゆる情報をシャットアウトして、
食べて、仕事して、泣いて、寝る。
そんな毎日を送る生活でしたね。
しかし、こんな繊細気質な人間の私が、パソコンを使って、コツコツ作業して、
今ではフリーランスとして起業して、自宅やカフェで作業を続けながら、生活には困らない収入を得られるように成長できたので、
必死にしがみついていた会社も辞めて、穏やかに、ポジティブに、好きな人しか周りにいない環境を整える事ができました。
その後の私は、法人会社を設立し、起業家の方々、企業の方々などから仕事を依頼されるなど、ゆとりをのある在宅生活を維持できています。
そんな状態なので、金銭的にも、心にもゆとりが取れて、同じHSP気質な仲間も増え始めたので、
今ではカラダが硬直することや、緊張などは無くなり、かみぃーさんと話すと安心するとまで言われるようになって、周囲の方から感謝されることが増えました!
かみぃーさんと話すだけで勉強になります!
また相談したいのですが、いつ空いてますか?
と、私を頼ってくれる方々が増えることの嬉しさを毎日感じ取っています。
WEBライターを通して学んだことを起業家さんや、企業の社長さんなどに話せば、同感してもらい、非常に興味を持たれます。
すごいね!
ここまで1人で稼げるまでのマーケティング手法や、精神的なマインドなどを、ぜひ詳しく聞かせて欲しい!
と言った感じです。
そして、心に余裕が持てるようになってからは、対話もできるようになり、
今では「恐怖」が「安心」に変わる毎日を過ごせています。
ここから先には、私の自己紹介を含めて、「絶望な人生」から、月収230万を手にするまでにのし上がってきた物語ということで、
- 絶望のどん底から這い上がってきた「かみぃー」とはどんな人間なのか?
- なぜ安定した会社勤務をやめて、38歳で1人起業して月収230万などに至ったのか?
- 絶望の人生を歩んでいたが、どうやって人間関係ストレスフリーな生活がおくれるようになれたのか?
などをお話しさせていただきます。
【かみぃーのプロフィール】
- 神奈川県横須賀市出身
- 高校卒業後 → 会社勤務20年
- 1人でフリーランス独立起業家
- 2023年10月:合同会社マイヒストリーを設立
【主な活動業種】
WEBライター&ライティング講師を経て、
精神メンタルサポート
心理学マーケティング
ひとり起業支援者
集客マーケティング構築制作
電子書籍出版コーチング
他、多数。
【主な講習内容】
WEBライター講座&ビジネス講習
WEBマーケティング講習
店舗経営のノウハウ講習
SNS集客ノウハウ講座
精神メンタルマインド講座
その他、多数。
近い将来、大手企業が、個人スキルが高い人材を求められる時代に突入するため、
自らの経験から、【ひとりで収入を得る事】や【ひとりで起業できるまで】に必要な個人スキル(PCスキルや自己技術力)を、生徒さんの方々と二人三脚で向上して頂き、起業家/フリーランスとして独立し、活躍できるまでを支援する、キャリアサポーターとして活動を展開中。
- Amazon 電子書籍:出版著者本人
①労働収入「負のスパイラルからの」脱出
②HSPの敏感人間が起こした絶望からの逆転人生
家族のことが怖くて、 居場所がなかった【幼少期】
冒頭でお伝えさせていただいた通り、私は、普通の人よりも、敏感に物事を感じてしまう人間でした。
そのため、
- 大勢の前では、体が緊張して話すことができなくなる
- コミュニケーションがうまくとれない
- 友だちも作りにくく、人と接する事を極端に嫌う
- 人の視線や、表情、言葉、仕草、などがいつも気になっている
- 1人でいる時間が、何よりも大切なので、引きこもる
といった、普通の人には出来て、私には出来ないことの差を感じて、自信が無くなり、「自分はダメな人間なんだ」と、何度も思う日々を送っていました。
そのせいで、周りのヒトが私という人間を、どう思っているのかが、常に気になりストレスを抱えてしまうため、ヒトと接する事を極端に避けていってしまったのです。
幼少期は、とにかく「恐怖」だけ。
敏感に感じ取ってしまう体質になってしまった原因ですが、両親の影響が大きくあったと思います。
物事に細かく、すぐ感情的に怒り、すぐに愚痴を吐く、起伏が激しい母親。
頑固者である建築業(大工)である父親。
毎日あーだこーだ愚痴や喧嘩腰の言い争いをしている両親の、怖い姿を見て育ってきました。
(その後、母親は「鬱病、統合失調症、更年期障害、パニック障害」などの精神病を持っていた為に、精神病院に入退院を繰り返す生活を余儀なくされていたのですが、
私はその様子を幼少期から見ていた為、間違った事をしていないのに理不尽に怒られ、叱られ続け、何が正しいのかも分からず、怖すぎてしょっちゅう泣いていて、逃げ惑っていました。)
そのころから、ヒトの顔の表情、言葉の暴言、カラダの動作など、ヒトの感性の変化を敏感に感じ取ってしまう敏感で繊細な体質になってしまい、泣き虫グセがついてしまったのです。
ですが、カラダだけは健康体でいられたのは、本当に助かったと思っています。
毎日欠かさず中学校に通い続けて、気付かないうちに「皆勤賞」になるほど中学校に通っていましたね。
怖がりで敏感人間。 普通のことができず、 劣等感だらけの【中学生時代】
気付かないうちに「皆勤賞」になるほど中学校に通っていたのですが、
人の顔色、言葉使い、を敏感に感じ取る体質の自分が、中学校で上手くいくはずもなく、
中学生時代は、
生きているだけで、辛い日々でした。
友だちを作る為にも、自分から声をかけようと試みましたが、
「嫌な思いをさせたらどうしよう…」
「邪魔扱いされたらどうしよう…」
と恐怖心が先走ってしまう状態。
友達と呼べる人は【2~3人】いたか、いないか。
結果、1人で居る時間が多くなり、物静かな自分になってしまい、
あまり話しかけてくれる人も、
いませんでした。
休み時間には、同級生のみんなが笑って話して楽しんでいるのを見ていて
めちゃくちゃ羨ましかったです。
どうにか会話に入ろうとするが、「かみぃーはどう思うの?」と意見を聞かれた時に、「ふぅ?え、あ、えっと…」となってしまい、声を掛けられた際に体が緊張してしまい、会話が成立しない。
そんな友だちの輪にどうしても入りたくて、コミュニケーションの改善をするために、本を十冊以上買って読んで、声をかけるところから実践しましたが、スルーされたり、無視されたり。
テレビを見ては、「このヒトは、なんでこんなに喋りが上手いんだろう?」と参考にしたり、研究したりもしましたが、成果は出なかったです。
いくら努力しても、無駄なんだ。
と思っているうちに喋ることが苦手となり、声をかけてくれた人に少しだけ心を開くだけの小心者になっていたのです。
ヒトとして自信の無さから、ほこれた事は何1つなく、全て「受け身」の状態。
「こいつ、静かでつまらないヤツだよね。」
「幼稚過ぎない?小学生みたいに小さいし。」
「しかも、バカで頭悪いし、気持ち悪い。」
みんなからは、こんなふうに思われているんだろうな。
ということしか感じませんでした。
案の定、イジメの的になり、
わざと足を引っ掛けられ、転んだ姿を見て、バカにして笑っている皆の姿を覚えていますが、
消極的な私は、「あっ…僕が悪い…」ということしか思えず、消極的な私なので、抵抗する勇気も無く、皆からは、【弱い人間】というレッテルを貼られていたんだと思います。
今でも当時の【みんなが私をバカにして笑っている表情や姿、私を見ていた視線の様子】を鮮明に覚えています。
だからこそ、周りの人が楽しそうに話しているのに、その輪に入ることができない。
先生が生徒に質問して「手を挙げて」など言われたときも、極端に緊張して挙げられない。
友だちの発言や表情1つでさえ、脳に焼き付いて、夜に考え込んで寝られない。
物静かであっても、学力の成績は【オール1】という勉強嫌い。
なにを取っても、
「普通」なことができない。
と、中学生の時から思い始めていたのです。
唯一できるのは「カラダが健康」なので、「休まず中学校に通えていたこと」だけでした。
奇跡の推薦入学をした後、 生きる意味が無いと 絶望した【高校生時代】
中学校の卒業する3ヶ月前に「人生で一番嬉しかった」出来事がありました。
それは、学校に休まず通っていたという事や、親と先生の長い話し合いなどにより、高校入試を受けずに「推薦で高校に入学」できたのです。
これには、親と先生方に【感謝】という言葉しかでてこなかったことを思い出します。
勉強をする理由がない。
だって、何をやってもダメな自分が「高校受験」なんて出来るはずない。
と最初から高校受験を諦めていた自分のために、家庭教師を付けてくれたり、親戚などにも協力してもらって勉強を教えてくれたり、一緒に勉強に付き合ってくれた両親。
自分の事を思ってくれての事なんだから、頑張って期待に応えなくちゃ!と、プレッシャーを感じて、勉強をする努力を繰り返していました。
しかし、数学、日本史、英語、などを覚えて、今後の自分になんの意味があるのかすら分かっておらず、勉強をする意味がないと思っていながら無理やり勉強をしても、全く頭に入りません。
「勉強が出来なくちゃ、生きていけない世の中なの?だったら、自分、勉強出来ないから生きる意味ないよね。」と、小さいながらも、少し抵抗してみたり、捻くれたりもしました。
そんな自分に嫌気がさして、
「もぉ、人生終わった」と絶望を感じていました。
なので、「推薦で高校いけることになったよ!」って親から聞いた時の気持ちはとんでもなく嬉しくて、親に抱き着いて、言葉にならないほど「ワー!ワー!!」と泣きじゃくって喜んだことを、今でも鮮明に思い出します。
「こんなダメな自分でごめんなさい!」
「見捨てないでくれて本当にありがとう…!」
と、ちゃんとした言葉で言いたかったのですが、言葉にならないほどずっと、悔しくて、辛くて、悲しくて、嬉しくて、訳も分からず泣いて泣いて、幸せな気持ちでいっぱいになって…
その時は、泣き疲れ果てて、いつの間にか寝ちゃっていましたね。
本当は無かった高校生活なんだから、今の自分を絶対変えて充実させるんだ!
と思っていたのですが、
友達の顔ぶれが変わったとしても、HSP気質な自分が変わる事はなく、周りの人が怖い、目線が気になる、嫌な言葉が脳に焼き付き、寝られなくなる。
とにかく周りが気になる敏感人間。
結局、
普通のヒトにできる「話す」ことすら、
自分には出来ないんだ。
ということに気が付き始めたのです。
物静かになってしまった自分は、「イジメ」の標的。
後ろの席のヒトが、前にいる自分の背中にシャーペンの芯を飛ばし入れて遊ばれたり、お金を盗まれたり、犯人すら知っているのに、反論すらできない。
自分の気持ちを押し殺せば、周りの人に迷惑かけず、傷付けずに済む。ヒトを困らせずに済む。と思うようになり、さらに「1人の時間」を作り続けた結果、精神的にボロボロとなっていたのです。
生きること自体が、意味が無い。
この世に自分の存在って必要ない。
と、目の前で起こるイヤな事柄が、穏便に時が過ぎるのを待ち続ける生活。
こんなことから、自分は一生、普通にヒトと話す事ができない。
楽しむ権利すらない。
何のために生まれてきたのだろうか?
このように呪文を唱えるかのように、自問自答をする毎日を過ごしていました。
絶望の高校生時代でしたが、 唯一の救いは 【音楽との出逢い】でした。
ヒトと接することを極端に拒否してしまう自分が、高校生になって、唯一救われたこと。
それは「ギターとの出会い」。
1人で出来る「ギター」は、練習をすればするほど音が綺麗に出るし、田舎暮らしなので、周りを気にすることなく音も出せる。
何よりも、言葉を発することがなく、勝手に音が出てくれることが嬉しくて、気付いたらハマっていました。
スポーツや筋トレ、ダイエットなども、しっかり続ければ結果が出てそれでハマるヒトがいますが、同じような原理だったと思います。
1990~2000年代のバンドブーム全盛期。
「GLAY」「スピッツ」「JUDY AND MARY」「B’z」「ウルフルズ」「Mr.Children」「シャ乱Q」などのギターの楽譜を買っては弾いて、買っては弾いて。
小柄な自分は最初から手が小さいので、楽譜通りに弾けなかったが、音というものに敏感に感じて自己流にアレンジしたり。
没頭しすぎて、1本1本の弦の音を聞くだけで、ギターのチューニングできるほどになっていたり。
高校生の当時は劣等感のかたまりでしたから、ギターを弾くことは、自分の承認欲求を満たす上でも必要なことだったのではないかと思います。
近くの人にギターが弾けると言っていたら、周りのヒトが自然と話しかけてくれるようになり始めたのです。
「バンド組もうよ!それだけ上手いんだからもったいないよ!」
みたいな感じです。
会話することも徐々に増えてきて、何とか孤独を逃れることも出来はじめたのです。
ギターさえ1本あれば、みんなが自分を必要としてくれるし、勝手に音が出てくれるので、声を出して話すのが苦手な自分でも出来る。
当時、何もなかった自分には「音楽」というのが唯一の救いであったようにも感じます。
頑張れば、ある程度は報われる。
自分を必要としてくれる人が現れる。
今考えても、ギターに没頭した理由には納得です。
とはいっても、「ギター」に要求されるセンスや才能、「音楽知識」は全くといっていいほどありません。
完全独学、好きなだけ、好きなように、うまいギタリストの弾き方を、ただただ真似て。
難易度の高いギターの弾き方を見せると、「すごい!」って周りの人が褒めてくれるのが嬉しくて。
1人、孤独に、コツコツと、練習して、高校生の時に生まれて初めてLIVEでギターを演奏したことを思い出しますね。
自分の無力さに、 価値が無いと判断した 【新入社員時代】
絶望と救いの両方を経験した高校生活でしたが、なんとか卒業できました。
その後、大学や音楽の専門学校も考えましたが、これ以上両親に迷惑を掛けることに気が引けたのと、結局勉強嫌いなことに変わりは無かったため、就職しようと決断したのです。
すぐさま新入社員として、自動車の修理や、新車販売をしている代理店の営業所に、一般事務として就職が決まったのも、救いでした。
「ゆっくりでもいいから、失敗しないように…今の自分ができることをやろう」
「大丈夫…大丈夫!少しは成長してるから」
と、自分に必死に言い聞かせて作業をしていましたが、とある日から、
一般事務と同時進行で社長から、
「車を売るための営業に行ってほしい」
と言われて、
「はい、はい!」
とだけ答えました。
普段から、社長から声をかけられるたびに「なにか失敗して怒られるんじゃないか…」という恐怖心でカラダが緊張して、声をかけられるたびビックリして「はい!」と返事をしてしまう癖が付いてしまいました。
さらには、
「え?営業って、なにをするの?」
という知識レベルです。
3日間ほど、上司と一緒に営業に付き添い、お客さまに挨拶を済ませて、
「これから先は、1人で営業に行ってもらうから」と言われ、1人でお客様に会いに行くことになるが、
「声をかけて嫌な思いをさせたらどうしよう…」
「迷惑だとか思われたらどうしよう…」
と悪い想像が先走ってしまいます。
勇気を振り絞って、自宅のピンポンを押してお客様に声をかけますが、「あのぉ、えっと」と、緊張のあまりにオドオドした対応となってしまい、ほとんど挨拶だけで終わってしまうような状態が続いてしまったのです。
営業回りって「こちらからお客様に声をかけて、来てくれてありがとう!だなんて思う人はいないんだ」と初めて思い知らされました。
そんな思いのまま営業に回っていて、3日間で1人たりとも顔を合わせることが出来なかった事があり、「都合が悪かった、嫌がられた」などを理由にして社長に伝えると、大勢いるお店の中で、
「なんでこんなことが出来ないんだ!」
「これじゃ完全に給料泥棒だぞ!」
と怒鳴られ、叱られ続け、「出来ないヤツ」というレッテルを貼られ、
自分の無能さに絶望しました。
それがトラウマになって、お店に電話が鳴るたびに【 恐怖 】でカラダが硬直して、トイレに逃げ込むほど。
勤務が終わって、夜寝るときには、社長の怒っていた顔が忘れられず寝られない。
朝が来て通勤するが、お店の建物を外から見るだけで、手足とカラダが震えて、自然と涙が出る程、どうしようもない状態になっていたのです。
これ以上、会社の方々に迷惑をかけられないと判断し、誰にも相談せず、「辞めよう」と決断してました。
社長と2人きりになれるタイミングがあるまで我慢して勤務した後、
「ごめんなさい、もぅ、無理です…」
と勇気を振り絞って泣きながら伝えて、入社2年目で退社。
理由すら言えていません。とにかくこの「一言」が出たのが、自分にとって奇跡なくらい追い込まれてたんだと思います。
未来なんて、 絶望しかないと思っていた その後の【社会人時代】
なんとか敏感な体質を変えようと、会社を探して仕事をし続けましたが、人間関係なんか、どの会社に行ったってうまくいきません。
会社を変えて転々とする日々が5年ほど続いた後、
気付いたことがありました。
「自分は社会から必要とされていない」
ということを。
ついに絶望の境地に達したので、死んだ方が「楽になれる」と思い、自殺を考えました。
自分はいらない存在。
社会から必要とされていない存在。
普通に会話すらできない存在。
信じて騙されてお金に縁がない存在。
世の中の邪魔でしかない存在。
誰も自分の事なんて必要としていない。
本当に「死」を選んだので、分かる人には分かると思いますが、
「死」を選ぶ時って、誰にも相談する余力がないんです。
言葉が出ない。声が出ない。気力がない。抜け殻。だから、
1人でひっそりと死ぬんだと思います。
そして、ついに、
車で暴走して1人で事故って死のう。と思いつき、夜な夜な山道を車で全力で走り出してました。
峠の山奥なので真っ暗闇で、道すら見えない場所で曲がりきれずに山林の崖に落ちた時には、車が何回転したか分かりませんが大破して、フロントガラスには、一本の木が車内めがけて突っ込んできて「死ねる」って思いましたが…
なぜか、生き残ってしまったのです。
真夜中、真っ暗で誰もいない山林しかない山奥で1人、枯れるほどワンワン泣いて、1日が経つと、異変に気付いたヒトが、声をかけてきて、呼び戻されて。
警察には届けず、車をレッカーしてもらったものの、崖の下にある大破した車を持ち上げる為の、クレーンのワイヤーが25mしかなくて、車に届かないとか…。
後処理が大変でした。
生き残ってしまった為、仕方がなく、また会社に就職して「我慢」の日々を送っていた時でした。
「せっかく生きていられるなら、自分みたいな人を助ける役になれたらいいな」と密かに思い始めました。
そして、このころでした。「WEBライター」という世界を知ったのです。
そして、【上司の一言】
「それ、やめてくれない?」と言われた時、
ここで、売り上げに繋がることしか考えない上司や、利益しか認められない会社の方針と、
利益に関係なく、困っているヒトのために私が役に立つ事を第一優先として、喜んで頂き、笑顔になってもらおうとする私との「価値観の違い」を真っ向から否定され続けたことに嫌気がさして、
ついにこの上司の一言で限界に達し、会社員には二度とならないことを決意して会社を辞めて、
人生は大きく変わったのです!
常識破壊すぎた 【WEBライター】 という世界を知って…
つい2年前(電子書籍出版時)までは、毎朝、無理やりにも決まった時間に起きて、スーツを着て、駅まで移動して、片道通勤1時間30分の電車に揺られる生活をしていました。
職場に着いては、嫌な上司の顔を見ながらノルマを伝えられる。
ノルマが達成できなければ、何が原因だったのかを問い詰められ、精神的にはボロボロ。
勤務時間から解放された後、家まで帰るのに1時間30分の電車。
家に帰って来てからは、現実を見たくないので、オンラインゲームをして、アニメを見て、テレビを見て、明日の勤務の為に寝る。
とにかく、1人でいたい。
そして、人間関係に冷め切っていて、友達を作っても疲れる。と思って、同僚や上司、部下にすら仲良くしない、自由な1人の時間が一番落ち着く。という生活習慣を作り上げていました。
もぉなんだか、理不尽な社会に嫌気がさして、
すでに「死ぬことはいつでもィィ」と思って、人生を諦めかけていた時に、大きな転機がありました。
それはYouTubeを見ていると、広告に現れた内容でした。
WEBライターで稼ぐ?
ちょっとだけ内容を調べてみると、
- 在宅で作業ができる!
- 人間関係に悩まされない!
- 最初は副業から始める事ができる!
- リスクはゼロで全て1人でできる!
- 主婦、サラリーマン、学生、いろんな人が稼いでいる
- 一度仕組みを作ったらほほ自動化で収益が可能!
「そんな世界もあるんだなぁ」と情報だけはインプットしておきながら過ごしていたあと、毎日会社に勤務する日々。
「このまま一生、会社に縛られて生きていくのか…」と希望もなく、良い未来なんてないと人生を諦めていました。
そんなことを思いながら、YouTubeを眺めていると【WEBライター】の広告が流れたので、記憶にあった、パソコン1台で出来る在宅の仕事というものを、なんとなく適当にしらべてみたら、
在宅で作業可能!
パソコン1台!
場所に縛られず!
時間に縛られず!
人間関係に苦しまない!
このような未来が手に入るという広告が目についてツラれてしまい、
WEBライターという業種に、物凄く興味を持ってしまったのです。
「パソコン1台で、リスクなく出来るみたいだし、とりあえずどんなもんかやってみるか」
「1度の人生。自分が選んだ事をやって、騙されて死んで悔いなし!」
「蓋をあけて、出来なかった!とかだったら、思い残すこともないし、死のう」
と思って、実際に始めてみようと思いました。
最初はWEBライティングを学び、それなりに毎日作業をしました。
最終手段としての意識だったり、死ぬ覚悟が出来ているせいか、「絶対やる」という気持ちだけで動いて、その結果、紆余曲折はありましたが、
初月で月収7万円、
3ヶ月目で月収18万円、
6ヶ月目で月収39万円、
10か月目で76万円、
1年目で月収50~80万円を行ったり来たりということが現実的に起こりました。
そして今では、月230万円のお仕事を継続して頂けています。
信じられない方も多いかもしれませんが、さらなる高みを見て、月収をもっと伸ばせると思っていて、3年目は年商1200万円の倍の、年商2400万円を目指します。
具体的には、インターネットで行う仕組みの構築と、法人案件を継続して受注することで、現実的な目標達成ができる!と思っています。
もちろん、ここまで来るのには「死ぬ気の覚悟」があったからとか、「後がない人生だったから」とか、「毎日少しずつ、コツコツ、作業、勉強」を繰り返してきたのは確かですが、
WEBライターを始めて、最初の収入をもらった時は、
【生きる価値の無い自分でも、やれば出来るんだ】
と思えたということが、ほんとぉに!!嬉しかったですね!!
なによりも【こんな自分でも頼りにされる事】を実感できました!!
少しの勇気と、少しの努力で、
こんなに人間って「安心」が生まれると変われる存在なのか!と思いました。
初めて月収100万円とか出した時には、自分でも驚きましたが、コツはこれだけ。
成功者の真似さえできれば、結果は出るんだ!
こんなふうに驚いたことを覚えています。
ただ、WEBライターというインターネットで稼げるという事実を知るまでの生活は、
絶望の毎日。
そんな生活でしたが、過去と比べると天と地の差ほどあります。
気付くって本当に大切ですね!
生きる希望に変わりました。
世の中コロナ禍(執筆当時)ということもあって、自宅にいる時間が増えている方が多くいますよね。
今の自分は「在宅で作業」ができる「WEBライター」の中で生活していますが、
それまでは「暗中模索」な人生を歩んでいたので…
「自分ってホント、センスのかけらもない」と思い込んでいましたからね。
今言えるたった1つの成功事例は、何かというと、
【本物の情報】を【手に入れたこと】
「人生あきらめなくて良かった!」と今でも心底思ってます。
絶望から希望に満ち溢れる毎日! 逆転の人生へ!
かみぃーは現在、毎月数十万円なにもしなくても入ってくるような「不労所得状態」になっています。
眠くなったときに、朝でも、昼でも、夜でも寝ようが、
オンラインゲームを12時間遊んでいようが、
北海道のおいしい海鮮丼を食べに行こうが、
沖縄の美ら海水族館に日帰りで旅行に行ってこようが、
リアル友達と飲みに行ってようが、
好きな映画を、何回繰り返し観に行っていようが、
勝手にお金が入ってくるようになりました。
そして、お金や労働、拘束される時間、精神的な負担、人間関係など、
「すべてのものからの自由」
を手に入れることができています。
これまで、挑戦しては挫折し‥なんども騙されてきた「かみぃー」が、WEBライターを始めた途端に、逆転の人生が待っていたのです!!
学生時代に人と接するのが嫌で、敏感人間。
こんな自分が、1人社長となり、独立なんていう思いもしなかった未来を手に入れることができて、
社会人になって騙されたことで、人間不信、借金まみれ、生きている意味が無かった人生が、
お金に困らずに、人生初の海外旅行に行ったり、散々な事を言われ続けた、地元の友人に見返すことができたり、好きなヒトたちだけと繋がって、美味しい料理を食べに出かけたり。
会社を転々としても、資格なし、取り柄なし、手に職もなし、などうしようもない、死ぬ価値すらないと思っていた自分が、成功体験によって、同じように困っている人へ心の支えが出来るようになっています。
今では堂々としていることが多いです。
なによりも、
心に余裕が生まれました。
そして、こんな消極的で傷心者な自分でも、WEBライターを教えてあげれば感謝もされますし、
【かみぃーさんとお話しすると、勉強になります!】と嬉しいお言葉を頂けたり、尊敬もされます。
【どんなヒトにだって、誰かの為にできることは必ずある!】という気持ちだけは強く持ち続け活動しています。
また、WEBライティングを通じて、ビジネスで培ってきた知識や経験を伝えれば、企業の社長さんから、「もっと教えてほしいです!」と言われる程、親しみを持って接してくれます。
その他、コンサルを頼まれたり、企業などから、セールスライティング、コピーライター、などとして代筆したり、DRMの依頼を受けたりして、稼いでいます。
命はお金で買えませんが、本気でお金に困ることはもうないんだなぁ。と思い、ヒトからは尊敬されて、関わりたい人だけと接する毎日。
本当に最高の人生が手に入りました。
こんな劣等感だらけで、ネガティブで死ぬことばかり考えていた以前の自分とは、天地の差ほどあります。
正直、あのとき、もしWEBライティングに出会えていなかったらと思うと、「命」は無かったと思います。
または、一生涯、「周りのヒトを気にする敏感人間」続けて、普通のことができない自分に対して、日々劣等感だらけで、幾度となく「死」を選んでいたかもしれません。
「なんでこんなことが出来ないんだ!人の話をちゃんと聞けよ!!」
「出来ないんじゃなくて、やらないだけでしょ?それ、ただの甘えだ!」
「運があって、喋りやクチが上手いヒトだけが結果が出る社会なんだよ!」
「上司を使って同僚を踏みにじって昇格することだけが正義だ!」
とか、訳もわからない人に付いていく日々だったかもしれません。
何をやるにしても、ためらうことは必要なことです。
「世の中に、都合よく稼ぐ方法なんて、絶対ナイ!!」
「結局やっても、騙されたり、人間不信になるだけだから!!」
とか思ってしまっていた自分に、
「もう少し早くWEBライターを知って始めるべきだった」と思い始めました。
この世界に勇気を出して踏み込むべきだったと、少し後悔しています。
ヒトから必要とされない。
怖い、ツラい
悲しい、寂しい
自分を産みさえしなかったら、
自分はこんなに苦しまなかったのに。
なんて思っていた自分が、
「ツラかった経験をして良かった!」
「やるべきことはいくらでもある!」
「人生はどん底から這い上がれる!」
「もっと充実した毎日をおくるぞ!」
と。こんなことを思える日々がくるなんて「夢の中」ですら思ってなかったです。
WEBライターを本気で始めて、本当に良かったと思っています。