私の人生経験は、
電子書籍化され販売されています。
はじめまして!かみぃです。
こんな生活ツラすぎる!
絶望的な人生だ…
もう大嫌いな上司と顔を合わせるのがイヤだ…
なんで自分だけこんなヒドい仕打ちを受けなきゃいけないの?
と、こんなことを思いながら生き地獄を味わい、悲鳴をあげる心にムチを叩き続けながら仕事を続けていたことを、今でも決して忘れることは出来ません。
ちなみに、なぜかみぃは人生に絶望していたの?ということについてですが、
それは、私が、
HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という、
極度な繊細気質な、
敏感人間だったからです。
今では、WEBライターやWEBライティングスキルを磨いて自信がついたので、
過去にとらわれず未来を作って楽しむぞ!
たくさんの仲間と繋がって上を目指すぞ!
という前向きな気持ちでいることが多くなって、みなさまと協力し合いながら自己成長できるように高みを目指していますが、
過去は本当にヒドい状態でした。
現代では【HSP】(いわゆる繊細さん)という言葉で伝わると思いますが、私が働いて来た当時は、そんな言葉は認知されておらず、
私がする発言に対して「嫌な思いをさせてしまうのでは…」と、場の空気を読み続けたり、気遣いをして言葉を詰まらせ発言ができず、内に秘めてしまうことや、
- ヒトが使う言葉の愚痴や暴言
- ヒトの表情の変化
- ヒトの視線
- ヒトの動きや仕草
- ヒトの感情や起伏
- 自然に出る物事の音
など、常に周辺で起こることを敏感に察知しすぎてしまい、いつも恐怖でカラダが緊張しているため、自分の思いを積極的に言うようなことが出来ず、人間関係うまくいかない状態です。
もしかしたら、普通じゃないのかもしれないと危機感を感じて周囲のヒトに相談をしましたが、
「甘ったれてんじゃないよ」
「男だろ?」
と、相談をした回数分同じ返事をされて、分かってもらえるヒトはいない。
周りの人が出来ている、言わば「普通」なことが出来ない自分なだけに、
ひたすらお金のためだけに、悲鳴を上げる心にムチを打って働き続ける。という生き地獄に耐えながら働き続ける日々に、生きていて良い事なんて無くて、
自殺願望が出てきてしまったり…。
いつの間にか、周りのありとあらゆる情報をシャットアウトして、
食べて、仕事して、泣いて、寝る。
そんな毎日を送る生活でしたね。
ですが今は働く環境を変えて、WEBライターとして起業して、
誰からの束縛を受けず。
時間に追われる生活もなく。
自宅やカフェで作業を続けながら、生活に困らない収入を得られるように成長できたので、
穏やかにポジティブでいられる生活環境を作れています。
今ではカラダが硬直することや、緊張などは無くなり、かみぃさんと話すと安心するとまで言われるようになって、
「かみぃさんと話すだけで勉強になります!」
「また相談したいのですが、いつ空いてますか?」
と、私を頼ってくれる方々が増えており、嬉しさを毎日感じ取っています。
WEBライターを通して学んだことを起業家さんや、企業の社長さんなどに話せば、同感してもらい、非常に興味を持たれます。
「すごいね!ここまで1人で稼げるまでのマーケティング手法や、精神的なマインドなどを、ぜひ詳しく聞かせて欲しい!」
と言った感じです。
お金のゆとりは、心のゆとり。とも言われるように、収入も安定しだしてからは精神的に追い込まれる事もなく、
「恐怖」が「安心」に変わる毎日を過ごせています。
ただ、以前の私のように、
このままの状態が続いたら、自分が壊れてしまいそう…
精神的にも、肉体的にも、ツラ過ぎる!
なんで私だけこんなツラい仕打ちを受けなくちゃいけないの?
と感じながら日々生活している人は多いのではないでしょうか?
いきなりこんなお話を始めてしまいましたが、
とりあえず「あんた誰?」
と思われそうなので、簡単な自己紹介をさせて頂けたらと思います。
私は今、在宅でWEBライターとして活動をしながら、法人様からのお仕事をいただくなど、フリーランスの1人社長として活動し生計を立てています。
最近ですと、アルバイトの方を10~20名ほどお手伝い者を依頼していますが、基本的に従業員は持たず、ほぼ1人で生計を立てながら、フリーランス活動を続けています。
ですが、最初から順調に1人でフリーランスを目指し、うまく行った訳ではなく、少し前までは携帯ショップの店員として働く、臆病者のサラリーマンでした。
毎日のように同じ仕事の同僚と働いている中で、上司や同僚には、
「ちゃんとやれよ!」
「なんでそんなことも出来ないの!?」
と罵声を浴び続けながら働き続けて、
すぐ怒る苦手な上司と一緒に働く事がイヤでイヤで、不安に押しつぶされそうになりながら毎晩泣き崩れ、翌朝になると手足が震えながら出勤し、無理やり働き続けていた日々を忘れることは出来ません。
心の中ではいつも、
「自分ってなんて情けないんだろ…」
「あがり症だし、すぐ緊張しちゃうし…」
「場の空気感を考えすぎちゃう…」
と、周りの人と自分を比べて、いつもビクビクしていて劣等感だらけになっていたことを思い出します。
私が原因でみんなの機嫌を損ねないように、迷惑かけないように…慎重に…丁寧に…。と、最善の注意を払いながら対応しているような、引っ込み思案な気質を持っていました。
それでも、仕事のノルマや、上司からの圧力、嫌な人間関係に耐え続けてしまって、うつ病を発症してしまったこともありました。
そんな私が、
私に残された道は
これしかない!
と、藁(ワラ)にもすがる思いで、
自宅で仕事ができる【WEBライター】という職業に出会い、奇跡的に命が救われ、理想の生活環境を整えることができたのです。
決死の覚悟で努力し学びを繰り返してきて、今ではどうにか現在、月収100万円を継続できるまでになりました。
ここから先には、私の自己紹介を含めて「絶望な人生」から月収238万を手にするまでにのし上がってきた物語ということで、
- 絶望のどん底から這い上がってきた「かみぃ」とはどんな人間なのか?
- なぜ安定した会社勤務をやめて、38歳で1人起業して月収238万などに至ったのか?
- 絶望の人生を歩んでいたが、どうやって人間関係ストレスフリーな生活がおくれるようになれたのか?
などをお話しさせていただきます。
【かみぃのプロフィール】
- 神奈川県横須賀市出身
- 1982年1月生まれ
- 高校卒業後 → 会社勤務20年
- 2020年WEBライターで起業
- SEO記事100記事以上、1~3位を独占
- パソコンIT、心理学、マーケティング、精神マインド、ビジネス構築を学ぶ
- 【追加情報】
2023年:合同会社マイヒストリー設立
【主な活動内容】
WEBライター&WEBライティング業務
WEBディレクター業務
SNS集客マーケティング代行
精神メンタルカウンセリング
集客マーケティング構築代行
パソコン&ITコンサルティング
起業コンサルティング相談
【講座提供内容】
起業育成プログラムの提供
WEBライター講座&ビジネス講座
WEB集客マーケティング講座
精神メンタルマインド講座
ファン化ライティング講座
マーケティング心理学講座
店舗経営者の売上向上講習
SNS集客ノウハウ講座
近い将来、大手企業が、個人スキルが高い人材を求められる時代に突入するため、キャリアサポーターとして活動を展開中。
- 電子書籍出版一覧
①労働収入【負のスパイラル】からの脱出
②繊細さんは、9割諦めればうまくいく
③HSPの敏感人間が起こした絶望からの逆転人生

②
③
家族のことが怖くて、 居場所がなかった【幼少期】
冒頭でお伝えさせていただいた通り、私は、普通の人よりも、敏感に物事を感じてしまう人間でした。
そのため、
- 1人の時間が、何よりも大切
- コミュニケーションがうまくとれない
- 大勢の前では、緊張して話す事ができない
- 友達も少なく、人と接する事を極端に嫌う
- 人の視線や、表情、言葉、仕草、などがいつも気になっている
といった、普通の人には出来て、私には出来ないことの差を感じて、ヒトと接するのが非常に怖い。という体質になっていました。
幼少期は、とにかく「恐怖」だけ。
敏感に感じ取ってしまう体質になってしまった原因ですが、家族の影響が大きくあったと思います。
物事に細かく、すぐ感情的に怒り、すぐに愚痴を吐く、起伏が激しい母親と、頑固者である建築業(大工)である父親。
毎日あーだこーだ愚痴や喧嘩腰の言い争いをしている両親の、怖い姿を見て育ってきました。
後々に気付いたのですが、母親は「鬱病、統合失調症、更年期障害、パニック障害」を患っていたのです。
そのためか、幼少期から褒められる事を頑張っても、理不尽に怒られ、叱られ続け、何が正しいのかも分からず、怖すぎてしょっちゅう泣いていて、逃げ回っていて。
そのころから、ヒトの顔の表情、言葉の暴言、カラダの動作など、ヒトの感性の変化を敏感に感じ取ってしまう敏感で繊細な体質になってしまい、
【泣き虫グセ】がついてしまっていました。
ですが、物事を複雑に考えるような知恵もなかったので、カラダだけは健康体でいられたのは、本当に助かったと思っています。
中学校には毎日欠かさず通い続けて、気付かないうちに「皆勤賞」になるほど中学校に通っていましたね。
怖がりで敏感人間。 普通のことができず、 劣等感だらけの【中学生時代】
気付かないうちに「皆勤賞」になるほど中学校に通っていたのですが、
人の顔色、言葉使い、を敏感に感じ取る体質の自分が、中学校で上手くいくはずもなく、
中学生時代は、生きているだけで辛い日々でした。
友だちを作る為にも、自分から声をかけようと試みましたが、
「嫌な思いをさせたらどうしよう…」
「邪魔扱いされたらどうしよう…」
と恐怖心が先走ってしまう状態です。
友達と呼べる人は【2~3人】いたか、いないかほど。
結果、1人で居る時間が多くなり、物静かな自分になってしまい、
あまり話しかけてくれる人もいませんでした。
休み時間には、同級生のみんなが笑って話して楽しんでいるのを見ていて、めちゃくちゃ羨ましかったです。
どうにか会話に入ろうとするが、「かみぃはどう思うの?」と意見を聞かれた時にすぐドキッとして体が硬直してしまうため「ふぅ?え、あ、えっと…」と体が硬直して緊張してしまい、会話が成立しません。
でも、なんとか友だちの輪にどうしても入りたくて、コミュニケーションの改善をするために、人間関係の本を十冊以上買って読んで、声をかけるところから実践しましたが、
スルーされたり、無視されたり、笑われたりで、うまくいきません。
テレビを見ては「このヒトは、なんでこんなに喋りが上手いんだろう?」と参考にしたり、研究したりもしましたが、成果は出なかったです。
そのうち、こう思うようになりました。
いくら努力しても、無駄なんだ…。って。
そう思っているうちに、みんなからの視線や、自分のことをどう思っているんだろう。と嫌な想像ばかりが先行してしまい、喋ることが苦手となり、声をかけてくれた人に少しだけ心を開くだけの小心者になっていたのです。
ヒトとして自信の無さから、ほこれた事は何1つなく、全て「受け身」の状態。
さらに中学校の時は、やんちゃさや、見えを張ったり、強い人が正義みたいな風潮があるので、
「こいつ、なに?」
「弱っちいし、つまらないヤツ」
「幼稚過ぎない?小学生のガキみたい」
「しかもバカで頭悪いし、気持ち悪い」
みんなからは、こんなふうに思われているんだろうな。ということしか感じませんでした。
案の定、イジメの的になり、僕が歩くとワザと足を引っ掛けられ、転んだ姿を見て、バカにして笑っている皆の姿を覚えていますが、
消極的な私は「あっ…僕が悪い…」としか思えず、抵抗する勇気も無く、皆から【弱い人間】というレッテルを貼られていたんだと思います。
今でも当時の【みんなが私をバカにして笑っている表情や姿、私を見ていた視線の様子】を鮮明に覚えています。
そんな自分だからこそ、周りの人が楽しそうに話しているのに、その輪に入ることができない。
先生が生徒に質問して「手を挙げて」など言われたときも、極端に緊張して挙げられない。
友だちの発言や表情1つでさえ、脳に焼き付いて、夜に考え込んで寝られない。
物静かであっても、勉強する理由や意味がない。と思っていたので学力の成績は【オール1】という勉強嫌い。
なにを取っても、
「普通」なことができない。
と、中学生の時から思い始めていたのです。
でも、唯一できるのは、あまり深く考える思考がなかった分、「カラダが健康」なので、「休まず中学校に通えていたこと」だけでした。
中学卒業間近 高校受験前に起きた 葛藤からの奇跡
高校生になる前には、受験は付き物です。
中学校を卒業する3ヶ月前のことですが、「人生で一番嬉しかった」出来事がありました。
それは、学校に休まず通っていたという事や、両親や先生の長い話し合いなどにより、高校入試を受けずに「推薦で高校に入学」できたのです。
この事には、両親と先生方に【感謝】という言葉しかでてこなかったことを思い出します。
中学生の時、私の成績は5段階中、オール1。
だって、勉強をする理由がない。
そんな自分が高校を受験する?
何をやってもダメな自分が「高校受験」なんて出来るはずない。
と、勉強という事が大嫌いで最初から高校受験を諦めていた私だったので、それを見かねた両親が勉強教材を買って与えてくれたり、家庭教師を付けてくれたり、親戚などにも協力してもらって勉強を教えてくれたり、一緒に勉強に付き合ってくれたりもしてくれました。
そんな中で、家庭教師のお兄さんと私が一緒に勉強していると、母親が毎晩のように、温かいホカホカの「カレー」や「ごはん」を毎回作って持ってきてくれていたことを思い出すと、今でも涙があふれ出てしまいます。
私も小さいながら、初めての受験というプレッシャーを感じ「なんとかしなくちゃ!」と思いつつ勉強しようと前向きに取り組もうとしますが、
「そもそも勉強って、なんのためにする事なの?」
「勉強というのは、どうやってるするものなの?」
「この大量にある教科書の文字や文章を、一語一句暗記して、全部覚えるなんて不可能でしょ…」
と【勉強する】という意味すら分かっていない自分が、数学、英語、社会科、の勉強ができるわけもなく、
私が生きていく上で役に立つ訳が無い。と思って、完全に開き直っていましたね。
勉強することを履き違えている私にとって、受験なんか意味がないし、時間の無駄だし、いまさら勉強したってもう手遅れ…。と常に思っていました。
そんな頭の悪い自分に嫌気がさして、
「もぉ、人生終わった」と完全に絶望を感じていたのです。
なのに…
まさかの「推薦で高校いけるよ!」
って親から聞いた時の気持ちはとんでもなく嬉しくて、
親に抱き着いて、言葉にならないほど「ワー!ワー!!」と泣きじゃくって喜んだことを、今でも鮮明に思い出します。
「おかあさん!!おとうさん!!」
「こんなダメな自分でごめんなさい!」
「見捨てないでいてくれて本当にありがとう…!」
と、感情が表に出すぎてしまって言葉にならないほどワーワー泣きわめきながらずっと泣いて泣いて、声を枯らしながら幸せな気持ちでいっぱいになって、推薦を告げられた日は、そのまま泣き疲れ果てて寝ちゃっていましたね。
ちゃんとした言葉で「感謝」を言いたかったのですが、「これは夢かもしれない!」と、信じられない気持ちでいっぱいだったので、夢でもいいから幸せを噛み締めたくて、泣きわめき続けていました。
受験すら無理だと思っていたのに、推薦入学だなんていう奇跡が、この世に存在するわけがない!と思って、何度も何度も自分の頭を叩いてみたが…痛いだけでした!
我に返って、驚きを隠せなかった私は、その後、担任の先生から大切なことを告げられます。
実は、私の知らない所で両親が先生に、買ってくれた教材の話、家庭教師を付けた話、勉強嫌いでも休むことなく中学校に通っていた事など、私がたくさん努力していたことなどを話してくれていたのです。
そのことを中学校を卒業する間際に、担当の先生から呼び出され、努力してくれていた両親の事を聞き、言葉にならない気持ちでいっぱいになり、
またもや、先生の前でまたワーワー泣くことしか出来ず。
「僕って、見捨てられたかと思ってた…!」
「もう本当にごめんなさい!こんなダメな自分でごめんなさいーー!」
と、言葉にもならない声で、先生の前でまたずっと泣き崩れてしまいました。
もう「感謝」という言葉しか出てこないまま、両親や先生が味方となって、私という人を見守ってくれていたことに、温かみを感じたのです。
そして中学の卒業式を迎えます。
もちろん、中学の卒業式に来た両親はずっと泣いていて…。
それに釣られて、ずっとハンカチを目に当てながら顔を上げられず泣き崩れながら、卒業式を無事に迎えられたのです。
やっぱり、何よりも家族って大切ですね。
奇跡の推薦入学をした後、 生きる意味が無いと 絶望した【高校生時代】
こんな事があったからこそ!
本当は無かった高校生活なんだから、両親に恩返して今の自分を絶対変えて充実させるんだ!と高校に入学したのですが…
友達の顔ぶれが変わったとしても、HSP気質な自分が変わる事はなく、周りの人が怖い、目線が気になる、嫌な言葉が脳に焼き付き、寝られなくなる。
とにかく周りが気になる敏感人間。
結局、
普通のヒトにできる「話す」ことすら、
自分には出来ないんだ。
ということに気が付き始めたのです。
物静かになってしまった自分は、またもや「イジメ」の標的。
中学生の時は遊び半分のイジメでしたが、高校生ともなると、後ろの席のヒトが、前にいる自分の背中にシャーペンの芯を飛ばし入れて遊ばれたり、お金を盗まれたり、トイレに呼び出され暴行されたり、嫌がらせも酷かったです。
でも…犯人すら知っているのに、反論すらできない自分。
自分の気持ちを押し殺せば、周りの人に迷惑かけず、傷付けずに済む。ヒトを困らせずに済む。と思うようになり、さらに「1人の時間」を作り続けた結果、精神的にボロボロとなっていたのです。
生きること自体が、意味が無い。
この世に自分の存在って必要ない。
と、目の前で起こるイヤな事柄が、穏便に時が過ぎるのを待ち続ける生活。
こんなことから、自分は一生、普通にヒトと話す事ができない。
楽しむ権利すらない。
何のために生まれてきたのだろうか?
このように呪文を唱えるかのように、自問自答をする毎日を過ごしていました。
絶望の高校生活でしたが、 唯一の救いは 【音楽との出逢い】でした。
ヒトと接することを極端に拒否してしまう自分が、高校生になって、唯一救われたこと。
それは「ギターとの出会い」。
1人で出来る「ギター」は、練習をすればするほど音が綺麗に出るし、田舎暮らしなので、周りを気にすることなく音も出せる。
何よりも、言葉を発することがなく、勝手に音が出てくれることが嬉しくて、気付いたらハマっていました。
スポーツや筋トレ、ダイエットなども、しっかり続ければ結果が出てそれでハマるヒトがいますが、同じような原理だったと思います。
1990~2000年代のバンドブーム全盛期。
「GLAY」「スピッツ」「JUDY AND MARY」「B’z」「ウルフルズ」「Mr.Children」「シャ乱Q」などのギターの楽譜を買っては弾いて、買っては弾いて。
小柄な自分は元から手が小さいので、楽譜通りに弾けなかったのですが、音というものに敏感に感じて自己流にアレンジしたり。
没頭しすぎて、1本1本の弦の音を聞くだけで、ギターのチューニングができるほどになっていたり。
高校生の当時は劣等感のかたまりでしたから、ギターを弾くことは、自分の承認欲求を満たす上でも必要なことだったのではないかと思います。
近くの人にギターが弾けると言っていたら、周りのヒトが自然と話しかけてくれるようになり始めたのです。
「バンド組もうよ!それだけ上手いんだからもったいないよ!」
みたいな感じです。
会話することも徐々に増えてきて、何とか孤独を逃れることも出来はじめたのです。
ギターさえ1本あれば、みんなが自分を必要としてくれるし、勝手に音が出てくれるので、声を出して話すのが苦手な自分でも出来る。
当時、何もなかった自分には「音楽」というのが唯一の救いであったようにも感じます。
頑張れば、ある程度は報われる。
自分を必要としてくれる人が現れる。
今考えても、ギターに没頭した理由には納得です。
とはいっても、「ギター」に要求されるセンスや才能、「音楽知識」は全くといっていいほどありません。
完全独学、好きなだけ、好きなように、うまいギタリストの弾き方を、ただただ真似て。
難易度の高いギターの弾き方を見せると、「すごい!」って周りの人が褒めてくれるのが嬉しくて。
1人、孤独に、コツコツと、練習して、高校生の時に生まれて初めてLIVEでギターを演奏したことを思い出しますね。
自分の無力さに、 価値が無いと判断した 【新入社員時代】
絶望と救いの両方を経験した高校生活でしたが、なんとか卒業できました。
その後、大学や音楽の専門学校も考えましたが、これ以上両親に迷惑を掛けることに気が引けたのと、結局勉強嫌いなことに変わりは無かったため、就職しようと決断したのです。
すぐさま新入社員として、自動車の修理や、新車販売をしている代理店の営業所に、一般事務として就職が決まったのも、救いでした。
ゆっくりでもいいから、失敗しないように…今の自分ができることをやろう。
大丈夫…大丈夫!
少しは成長してるから!
と、自分に必死に言い聞かせて作業をしていましたが、とある日から、
一般事務と同時進行で社長から、
「車を売るための営業に行ってほしい」
と言われて、
「はい、はい!」
とだけ答えました。
普段から、社長から声をかけられるたびに「なにか失敗して怒られるんじゃないか…」という恐怖心でカラダが緊張して、声をかけられるたびビックリして「はい!」と返事をしてしまう癖が付いてしまいました。
さらには、
「え?営業って、なにをするの?」
という知識レベルです。
3日間ほど、上司と一緒に営業に付き添い、お客さまに挨拶を済ませて、
「これから先は、1人で営業に行ってもらうから」と言われ、1人でお客様に会いに行くことになるが、
「声をかけて嫌な思いをさせたらどうしよう…」
「迷惑だとか思われたらどうしよう…」
と悪い想像が先走ってしまいます。
勇気を振り絞って、自宅のピンポンを押してお客様に声をかけますが、「あのぉ、えっと」と、緊張のあまりにオドオドした対応となってしまい、ほとんど挨拶だけで終わってしまうような状態が続いてしまったのです。
営業回りって「こちらからお客様に声をかけて、来てくれてありがとう!だなんて思う人はいないんだ」と初めて思い知らされました。
そんな思いのまま営業に回っていて、3日間で1人たりとも顔を合わせることが出来なかった事があり、「都合が悪かった、嫌がられた」などを理由にして社長に伝えると、大勢いるお店の中で、
「なんでこんなことが出来ないんだ!」
「これじゃ完全に給料泥棒だぞ!」
と怒鳴られ、叱られ続け、「出来ないヤツ」というレッテルを貼られ、
自分の無能さに絶望…
しました。
それがトラウマになって、お店に電話が鳴るたびに【 恐怖 】でカラダが硬直して、トイレに逃げ込むほど嫌でした。
勤務が終わって、夜寝るときには、社長の怒っていた顔が忘れられず寝られない。
朝が来て通勤するが、お店の建物を外から見るだけで、手足とカラダが震えて、自然と涙が出る程、どうしようもない状態になっていたのです。
これ以上、会社の方々に迷惑をかけられないと判断し、誰にも相談せず、「辞めよう」と決断してました。
社長と2人きりになれるタイミングがあるまで我慢して勤務した後、
「ごめんなさい、もぅ、無理です…」
と勇気を振り絞って泣きながら伝えて、入社2年目で退社。
理由すら言えていません。とにかくこの「一言」が出たのが、自分にとって奇跡なくらい追い込まれていたんだと思います。
未来なんて、 絶望しかないと思っていた その後の【社会人時代】
なんとか敏感な体質を変えようと、会社を探して仕事をし続けましたが、人間関係なんか、どの会社に行ったってうまくいきません。
会社を変えて転々とする日々が5年ほど続いた後、
気付いたことがありました。
自分は社会から必要とされていない
ということを。
ついに絶望の境地に達したので、死んだ方が「楽になれる」と思い、自殺を考えました。
自分はいらない存在。
社会から必要とされていない存在。
普通に会話すらできない存在。
信じて騙されてお金に縁がない存在。
世の中の邪魔でしかない存在。
誰も自分の事なんて必要としていない。
本当に「死」を選んだので、分かる人には分かると思いますが、
「死」を選ぶ時って、誰にも相談する余力がないんです。
言葉が出ない。声が出ない。気力がない。抜け殻。だから、
1人でひっそりと死ぬんだと思います。
そして、ついに、
車で暴走して1人で事故って死のう。と思いつき、夜な夜な山道を車で全力で走り出してました。
峠の山奥なので真っ暗闇で、道すら見えない場所で曲がりきれずに山林の崖に落ちた時には、車が何回転したか分かりませんが大破して、フロントガラスには、一本の木が車内めがけて突っ込んできて「死ねる」って思いましたが…
なぜか、生き残ってしまったのです。
真夜中、真っ暗で誰もいない山林しかない山奥で1人、枯れるほどワンワン泣いて、1日が経つと、異変に気付いたヒトが、声をかけてきて、呼び戻されて。
警察には届けず、車をレッカーしてもらったものの、崖の下にある大破した車を持ち上げる為の、クレーンのワイヤーが25mしかなくて、車に届かないとか…。
後処理が大変でした。
生き残ってしまった為、仕方がなく、また会社に就職して「我慢」の日々を送っていた時でした。
「せっかく生きていられるなら、自分みたいな人を助ける役になれたらいいな」と密かに思い始めました。
そして、このころでした。
「WEBライター」という世界を知ったのです。
その当時、携帯ショップで働いていた私でしたが【上司の一言】
「それ、やめてくれない?」と何食わぬ顔で言われた時、
ここで、売り上げに繋がることしか考えない上司の事や、お金や契約という利益しか求められず、結果しか認められない会社の方針と、
利益に関係なく、困っているお客様のために私が役に立つ事を第一優先として喜んで頂き、笑顔になってもらおうとする私との「価値観の違い」を真っ向から否定され続けたことに嫌気がさして、
ついにこの上司の一言で限界に達し、会社員には二度とならないことを決意して会社を辞めて、
人生は大きく変わったのです!
常識破壊すぎた 【WEBライター】 という世界を知って…
つい2年前(電子書籍出版時)までは、毎朝、無理やりにも決まった時間に起きて、スーツを着て、駅まで移動して、片道通勤1時間30分の電車に揺られる生活をしていました。
職場に着いては、嫌な上司の顔を見ながらノルマを伝えられる。
ノルマが達成できなければ、何が原因だったのかを問い詰められ、精神的にはボロボロ。
勤務時間から解放された後、家まで帰るのに1時間30分の電車。
家に帰って来てからは、現実を見たくないので、オンラインゲームをして、アニメを見て、テレビを見て、明日の勤務の為に寝る。
とにかく、1人でいたい。
そして、人間関係に冷め切っていて、友達を作っても疲れる。と思って、同僚や上司、部下にすら仲良くしない、自由な1人の時間が一番落ち着く。という生活習慣を作り上げていました。
もぉなんだか、理不尽な社会に嫌気がさして、
すでに「死ぬことはいつでもィィ」と思って、人生を諦めかけていた時に、大きな転機がありました。
それはYouTubeを見ていると、広告に現れた内容でした。
WEBライターで稼ぐ?
自宅でパソコン1台で?
ちょっとだけ内容を調べてみると、
- 在宅で作業ができる!
- 人間関係に悩まされない!
- 最初は副業から始める事ができる!
- リスクはゼロで全て1人でできる!
- 主婦、サラリーマン、学生、いろんな人が稼いでいる
- 一度仕組みを作ったらほほ自動化で収益が可能!
「そんな世界もあるんだなぁ」と情報だけはインプットしておきながら過ごしていたあと、毎日会社に勤務する日々。
「このまま一生、会社に縛られて生きていくのか…」と希望もなく、良い未来なんてないと人生を諦めていました。
そんなことを思いながら、YouTubeを眺めていると【WEBライター】の広告が流れたので、記憶にあった、パソコン1台で出来る在宅の仕事というものを、なんとなく適当にしらべてみたら、
在宅で作業可能!
パソコン1台!
場所に縛られず!
時間に縛られず!
人間関係に苦しまない!
このような未来が手に入るという広告が目についてツラれてしまい、WEBライターという業種に、物凄く興味を持ってしまったのです。
「パソコン1台で、リスクなく出来るみたいだし、とりあえずどんなもんかやってみるか」
「1度の人生。自分が選んだ事をやって、騙されて死んで悔いなし!」
「もしも出来なかったら、思い残すこともないし、死のう」
とあっさり思ってしまうほど追い詰められていた私は、その出会いをキッカケに、覚悟の上で実際にWEBライターを始めてみようと思いました。
最初はWEBライティングを学び、それなりに毎日作業をしました。
最終手段としての意識だったり、死ぬ覚悟が出来ているせいか、「絶対やる」という気持ちだけで動いて、その結果、
初月で月収7万円、
3ヶ月目で月収18万円、
6ヶ月目で月収39万円、
という結果になり、
「なにこれ?こんな世界があったの?」と、必死に働いていた時の給料を簡単に超えて、
10か月目で76万円というお金になった時、
「あ、もうこの仕事やめれる。」と本業を完全退職して、フリーランスの1人社長として活動を開始して、
1年目で月収50~80万円を行ったり来たりということが現実的に起こりました。
そして今では、月238万円のお仕事をいただいたり、法人様から業務を委託されて仕事を継続して頂けています。
信じられない方も多いかもしれませんが、さらなる高みを見て、月収をもっと伸ばせると思っていて、3年目は年商1200万円の倍の、年商2400万円を目指します。
具体的には、インターネットで行う仕組みの構築と、法人案件を継続して受注することで、現実的な目標達成ができる!と思っています。
もちろん、ここまで来るのには「死ぬ気の覚悟」があったからとか、「後がない人生だったから」とか、「毎日少しずつ、コツコツ、作業、勉強」を繰り返してきたのは確かですが、
WEBライターを始めて、最初の収入をもらった時は、
【生きる価値の無い自分でも、やれば出来るんだ】
と思えたということが、ほんっとうに!嬉しかったですね!!
なによりも【こんな自分でも頼りにされる事】を実感できました!!
少しの勇気と、少しの努力で、人間ってこんなに「安心」が生まれると変われる存在なのか!と思いました。
初めて月収100万円とか出した時には、自分でも驚きましたが、コツはこれだけ。
成功者の真似さえできれば、結果は出るんだ!
こんなふうに驚いたことを覚えています。
ただ、WEBライターというインターネットで稼げるという事実を知るまでの生活は、
絶望の毎日。
そんな生活でしたが、過去と比べると天と地の差ほどあります。
気付くって本当に大切ですね!
今では、
生きる希望に変わりました。
世の中コロナ禍(執筆当時)ということもあって、自宅にいる時間が増えている方が多くいますよね。
今の自分は「在宅で作業」ができる「WEBライター」の中で生活していますが、
それまでは「暗中模索」な人生を歩んでいたので…
「自分ってホント、センスのかけらもない」と思い込んでいましたからね。
今言えるたった1つの成功事例は、何かというと、
【本物の情報】を【手に入れたこと】
「人生あきらめなくて良かった!」と今でも心底思ってます。
絶望から希望に 満ち溢れる毎日! 逆転の人生へ!
かみぃは現在、毎月数十万円なにもしなくても入ってくるような「不労所得状態」になっています。
眠くなったときに、朝でも、昼でも、
夜でも、そのタイミングで寝ようが、
オンラインゲームで遊んでいようが、
リアル友達と飲みに行ってようが、
思いつきで北海道に行こうが、
好きな映画を繰り返し見ようが、
沖縄の美ら海水族館に日帰りで旅行に行ってこようとも、
勝手にお金が入ってくるようになりました。
そして、お金や労働、拘束される時間、精神的な負担、人間関係など、
「すべてのものからの自由」
を手に入れることができています。
これまで、挑戦しては挫折し‥なんども騙されてきた「かみぃ」が、WEBライターを始めた途端に、逆転の人生が待っていたのです!!
そんな私は、学生時代に人と接するのが嫌で、HSPの敏感人間。
こんな自分が、1人社長となり、独立なんていう思いもしなかった未来を手に入れることができて、社会人になって騙されたことで、人間不信、借金まみれ、生きている意味が無かった人生が、
お金に困らずに、人生初の海外旅行に行ったり、散々な事を言われ続けた、地元の友人に見返すことができたり、好きなヒトたちだけと繋がって、美味しい料理を食べに出かけたり。
会社を転々としても、資格なし、取り柄なし、手に職もなし、などうしようもない、死ぬ価値すらないと思っていた自分が、成功体験によって、同じように困っている人へ心の支えが出来るようになっています。
今では堂々としていることが多いです。
なによりも、お金のゆとりは心のゆとりと同じなので、
精神的に余裕が生まれました。
そして、こんな消極的で傷心者な自分でも、WEBライターを教えてあげれば感謝もされますし、
【かみぃさんとお話しすると、勉強になります!】と嬉しいお言葉を頂けたり、尊敬もされます。
なので、どんなヒトにだって、誰かの為にできることは必ずある!という気持ちだけは強く持ち続け活動しています。
また、WEBライティングを通じて、ビジネスで培ってきた知識や経験を伝えれば、企業の社長さんから、「もっと教えてほしいです!」と言われる程、親しみを持って接してくれます。
その他、コンサルを頼まれたり、企業などから、セールスライティング、コピーライター、などとして代筆したり、DRMの依頼を受けたりして、稼いでいます。
命はお金で買えませんが、本気でお金に困ることはもうないんだなぁ。と思い、ヒトからは尊敬されて、関わりたい人だけと接する毎日。
本当に最高の人生が手に入りました。
こんな劣等感だらけで、ネガティブで死ぬことばかり考えていた以前の自分とは、天地の差ほどあります。
正直、あのとき、もしWEBライティングに出会えていなかったらと思うと、「命」は無かったと思います。
または、一生涯、「周りのヒトを気にする敏感人間」続けて、普通のことができない自分に対して、日々劣等感だらけで、幾度となく「死」を選んでいたかもしれません。
「なんでこんなことが出来ないんだ!人の話をちゃんと聞けよ!!」
「出来ないんじゃなくて、やらないだけでしょ?それ、ただの甘えだ!」
「運があって、喋りやクチが上手いヒトだけが結果が出る社会なんだよ!」
「上司を使って同僚を踏みにじって昇格することだけが正義だ!」
とか言って、人にストレスしか与えないような、訳もわからない人に付いていく日々だったかもしれません。
何をやるにしても、ためらうことは必要なことです。
「世の中に、都合よく稼ぐ方法なんて、絶対ナイ!!」
「結局やっても、騙されたり、人間不信になるだけだから!!」
とか思ってしまっていた自分に、
「もう少し早くWEBライターを知って始めるべきだった」と思い始めました。
この世界に勇気を出して踏み込むべきだったと、少し後悔しています。
ヒトから必要とされない。
怖い、ツラい
悲しい、寂しい
自分を産みさえしなかったら、
自分はこんなに苦しまなかったのに。
なんて思っていた自分が、
「ツラかった経験をして良かった!」
「やるべきことはいくらでもある!」
「人生はどん底から這い上がれる!」
「もっと充実した毎日をおくるぞ!」
と。こんなことを思える日々がくるなんて「夢の中」ですら思ってなかったです。
WEBライターを本気で始めて、本当に良かったと思っています。
この思いを胸に、私はこれからも日々活動を続けます。